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父の権威の量り方・・? [徒然]

最近、家族の中での父の権威が無くなっていると聞いたりしますが・・
父の権威があるか無いかの判別は飼い犬をみるとよくわかるのではないかという
私の独断と偏見に基づく考えをちょっと書いてみる。
まず、我が家が昔飼っていた犬が我が家族をどう見ていたかをまとめてみると、

1番えらい人 おとうさん  
2番 おかあさん(エサくれる人)
3番 おねえちゃん(私、小学校5年生)・おとうと(小3) ← 同列
4番 ワタシ(犬・2才)
5番 隣のS子ちゃん(小2)

ちなみに我が家は、父を中心としたごく普通の一般家庭だったと思う。
そして、犬は自分より下の身分になる者を一人決めると聞いたことがある。
思い返すと彼女(犬)の行動を見る限りでは、完全にS子ちゃんを軽く見ていた。
行動と言っても悪ふざけをするように、S子ちゃんが嫌がっているにもかかわらず
とにかくじゃれついて離れないという程度ではありますが・・
そしてもし、S子ちゃんがいなければ私か弟のどちらかが下になっていたんだろうか?
実は、犬の性質については後から知ったことで、きれいにあてはまっているなあと
ひとりで勝手に感心しているのですが、よって、犬がエラそうなのは
飼い主に問題があると言えるかも・・


ハレとケ [徒然]


家の窓から見える風景  飽きない風景です
朝起きるとまず外を見る癖がついています
季節の移り変わりを 都会ながら身近に感じています
自分にとっては毎日のことながら感じるたびに新鮮な気持ちになります
紅葉の名所がハレの場であるなら日常の風景はケと言えるでしょう
それでも自分自身では日常がハレの場であるように思えてしかたないのです
自分はなんともおめでたい人間だとおもいます


落ち葉が主役? [徒然]

二条城城内で見かけた風景・・

上はけっこう青々としていたりするのに、地面を見ると秋でした。
落ち葉がなかなかいい感じです。


今、昔・・ [徒然]

久しぶりにケーブルカーとロープウェーに乗った。
自分が子供の頃、祖父母宅に帰省すると毎年のように行っていた場所。
震災後に運休となり、数年前に再開して以来の搭乗となった。

出発は摩耶ケーブル駅。駅舎は昔とそう変わらない垢抜けない雰囲気。
そこからケーブルカーでのぼると次はロープウェーに乗り継ぎとなる。
乗り継ぎ駅が「虹の駅」、終着駅が「星の駅」と命名されていた。昔はそうじゃなかった。
乗り物の名前も、昔と変わっていた。
徹底的に昔と比較してしまう。
子供の頃の思い出が全てであるかのように、
変わっている所を見つけるとなぜかがっかりしてしまう。

ロープウェーの下に広がる景色は、相変わらずというより
更に成長したかのような森があり、嬉しくなった。
海の方を見ると、かなり陸地が増えているように感じた。

なぜ毎年何度も同じ場所へ行っていたのか、母に聞いてみると、
「だって他に行く所無いし、あんた達(私と弟) いつも喜ぶから・・・」
確かに、飽きたことは一度もない。
いつもワクワクしていた、そして今回も・・


お墓考 [徒然]

祖父の永代供養をお願いするためにある寺へ参った。

位牌堂という建物があり、住職から説明を受けた。
お堂の中央にメインの仏像があり、その周囲に回廊を会して位牌が並んでいるのだが、
お経が聴こえるようにという配慮から、回廊とメインの仏像の部屋の壁格子状になっている。

永代供養のために、新たに位牌をつくるのだが、大まかに3種類あると言う。
一つ目は大きめの位牌。一人につき一位牌。
二つ目は厨子に入った位牌。位牌も金箔貼りで芸術品並み。
三つ目は豪華な厨子に入った位牌。位牌も二つ目より更に豪華。
厨子を選ぶ人はお墓を建てる代わりにつくることもあるらしい。
中を見せてもらうと夫婦の名前が並んでいたりする。
生前から準備をしている人もあり、正にお墓の扱いと同等であった。

お骨も納めるのだが、いずれはこの山の土に返すのだという。
祖父や私にとっても思い入れのある場所なので、そうするのは自然のことと思う。

今回初めて知ったことは、墓石が立ったお墓というのは明治時代以降のもので、
墓石のある人は余程の有力者だったとか。普通は印として木片を立てたり、
大きな石を乗せるとかそんな程度だったらしい。
要は、お墓は重視されるものではなく、位牌が重要だったということ。
位牌は魂の宿れるところなのである。
昔の旅人は故人となった家族の位牌を持ち歩き、命日になると旅先の寺に飛び込んで
法要してもらったそうだ。・・・とても合理的な考え方だ。
少子化でお墓の管理も難しくなってきているので、普段は365日欠かさず
寺の世話に委ね、家族がたまにお寺に来ればよいというのがこの寺の方針。
何百万円もしてお墓を買ってロクに世話もできずやがては無縁墓となってしまったり、
という現状を見ていると、少なくとも私は今のお墓制度には納得いかないものがあった。
お墓は必要なものでもないのだ、ということが妙に新鮮だった。



風物詩 [徒然]

我が家の前の公園で夏祭りが始まった
夕暮れ時
セミの声はなぜかぴたりと止み
窓から入ってくる風からは秋の気配
盆踊りの音は哀愁を漂わせる
今年の夏ももうすぐ終わる・・・


毎年の楽しみの一つ・・ [徒然]

やっぱり今年もきれいでした



 新しい緑が一斉に芽吹く姿も大好き!


エピナル版画 [徒然]

今日が3月1日だとは信じられない、というのが本日思ったこと。
昨夜は「明日から3月かぁ。。」と気分がわくわくしてきたばかりだったのに、
今日一日を過ごして、昨日とそう変わらないことに違和感を覚えた次第。
もし今日が2月29日なら2月として特に何も思うことも無かっただろう。
2月→一番寒い冬 3月→春=あたたかい
という勝手なイメージが自分の中に無意識に出来上がっていることに気付く。


やっと・・・ [徒然]

徒然なるままに・・・と書き出しましたが実際は
『男もすなる日記といふものを 女もしてみむとて するなり』
の方がふさわしいように思います。
もちろんいまさら男とか女という問題ではないですけど、
今まで人のつくったHP等を見てすごいなぁと他人事だったのが
blogというツールを通して自分でもやってみようかなと。
してみようとして してみました。
やっとです・・・


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